金子文子と望月桂

タイミングが合わず、浜野佐知監督の映画「金子文子 何が私をこうさせたか」を私はなかなか観られずにいましたが、先日ようやく観ることができました。恐らく観た多く人と同じように、栃木女子刑務所での金子文子と望月桂の面会のシーンがとても印象的でした。

前提として、朴烈と金子文子は関東大震災直後の9月3日に検束されて、その後1926年3月に大逆罪で死刑判決を受けるも天皇の恩赦で無期懲役に減刑され、金子は栃木女子刑務所に収監されていたところ、7月に望月桂との面会があり、その直後、金子は独房で首をくくって自死したという事実があるわけです。

望月桂自身も家族とともに震災直後の9月4日に検束されたのですが、10月5日に釈放され、以後は家族ぐるみで獄中の仲間たちの支援を続けたそうです。そのあたりは『望月桂 自由を扶くひと』(平凡社)の第4章、第5章、特に第4章中の「傷つき倒れる者の病院—―望月家のケアの物語」(古屋淳二さん執筆)に書いてあります。

驚くべきは、望月桂が金子文子に面会したときに金子を描いたスケッチが1993年以後行方不明になっていたところ、今回の安曇野での「望月桂 自由を扶くひと」展開催直前の7月初旬に見つかったという事実です。SNSの「望月桂 自由を扶くひと」展公式アカウントの投稿や『信濃毎日新聞』の記事など知ることができます。

そのスケッチを私は安曇野の「望月桂 自由を扶くひと」展で見ましたが、残念ながら2026年6月19日発行の本『望月桂 自由を扶くひと』には掲載されていないのでした。

関東大震災後の社会主義者の虐殺ということでは、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一の三人が1923年9月16日に憲兵大尉の甘粕正彦らに殺害された「甘粕事件」が有名ですね。先日、マヌケ出版社から入荷したばかりの関連本を紹介ばかりでした。

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