お知らせを忘れていました。隔月の茨城不安定労働組合読書会が4月20日(日)にあります。 なんとこの日はかすみがうらマラソンの日でもあります。時間帯によっては店の周辺の道路を車は通れなくなります。ご注意ください。
ビラの裏面はこうです。主催の茨城不安定労働組合としては今回のテキストは図書館で借りてくださいとのことです。当店にも現在在庫がありません。ご了解ください。


お知らせを忘れていました。隔月の茨城不安定労働組合読書会が4月20日(日)にあります。 なんとこの日はかすみがうらマラソンの日でもあります。時間帯によっては店の周辺の道路を車は通れなくなります。ご注意ください。
ビラの裏面はこうです。主催の茨城不安定労働組合としては今回のテキストは図書館で借りてくださいとのことです。当店にも現在在庫がありません。ご了解ください。
ジョン・B・トンプソン著/久保美代子訳『ブック・ウォーズ』(みすず書房、2025年) 松井暁『ここにある社会主義』(大月書店、2023年) 松本哉『世界マヌケ反乱の手引書 増補版』(ちくま文庫、2025年) 森崎和江『能登早春紀行』(中公文庫、2025年)
『府中萬歩記』133号が届いています。身近な市政に関わる記事がよいです。「『沈黙の奥底』を観てー満蒙開拓を考える」という記事を読んで『沈黙の奥底』って何?観てみたいと思ったところ、SBC信越放送制作のドキュメンタリーでした。YouTubeの公式チャンネルで観ることができます。お勧めです。
4月4日(金)は19時から25時の営業ですが、19時からしばらくテーブル席が茨城アンダークラスメーデーhttps://ibarakiantipoverty.hatenablog.com/の話し合いに使われます。話し合いに参加しない方もその間のお買い物は可能です。遠慮なくご来店ください。に使われます。話し合いに参加しない方もその間のお買い物は可能です。遠慮なくご来店ください。 と言われても遠慮しちゃいますよね。すみません。。
*25日は19時から無制限で読書会ですが、いつでもお買い物は可能です。遅い時間帯は私が一人で読書会をやっていて通常営業と区別がつかない可能性もあります。
*26日は土曜日ですが、いつもと違う営業時間です。
今朝の読書会には急のお知らせにもかかわらず4名の参加がありました。テキストを踏まえつつフリートーク的にやったところ、侃々諤々といえるほど熱い討論ではなく落ち着いた感じになりました。また任意の日時に続き?をやるつもりです。なんなら私がいないときにも勝手にやってください。
亀城公園隣のガバンクリエイティブルームで3月31日から4月13日までの「2週間」という謎の企画が始まったそうです。という私も4/1~4/4のどこかで、主催のhi.ttsunと一緒にゲリラ読書会をやります! テキストはボブ・ブラック『労働廃絶論』です。日時はまだ決まっていませんが、ぜひご参加ください!
直前なのに日時もわからず「ぜひご参加ください!」と言われても困りますよね。そもそも平日だし。 そうなんですが、とにかくテキストを入手したいという方は当店でお求めください。まとまった在庫あります。
ボブ・ブラック著/ホモ・ネーモ訳・解説『労働廃絶論』(まとも書房、2024年)
追記 『労働廃絶論』読書会第一弾は4月2日(水)の朝のラジオ体操の後にやります!水曜休みで朝型の方向けです! で、ラジオ体操って何時なんでしょう?私も良く知りませんが、8時30分までに来れば読書会には間に合うでしょう。
こういう本で読書会やるっていっても、仕事を休んで参加して!とは言えないので(われら哀しき労働者…)、2週間期間中参加機会を増やすために、第二弾、なんなら第三弾も考えてみたいと思います。
前日に続けて3月28日にも来店した岡和田晃さんと「FUKUSHIMA、イバルナ」を中心に、杉本真維子さんの詩について議論しました。それを踏まえて書きます。
「イバルナ/イバルナ/FUKUSHIMA/イバルナ/わたくし」で終わる詩が誰に威張るなと言っているのか、私はその詩を何度読んでも分かりません。
FUKUSHIMAに言っているのか、わたくしに言っているのか、両方なのか、わたくしはFUKUSHIMAなのか、FUKUSHIMAはわたくしなのか全く分かりません。自身の解説文を読むと、わたくしを含む生者に言っているらしい。FUKUSHIMAをめぐる偽善的な詩が溢れていることに違和感をおぼえて誤解を恐れずに発表した詩のようです。
しかし彼女が違和感をおぼえた偽善的な詩はどのようなものか私には全く分かりません。「(福島産を)食べて応援」でもなさそうです。詩の中に「そんな死者のあなたがどうして/弱い者の/はずがあろうか」とあります。解説文を読んでも、生者が死者を下にみることを問題にしたいようなのです。
生者が死者を下に見る偽善的な詩に違和感をおぼえたのだとしても、そのような詩が何なのか私には全く分かりません。まさか、酷寒のなか津波にさらわれた被害者が最期に苦しい思いをしただろうことを可哀想と思う生者の悼みに水を差したいだけなのでしょうか。
ところで、FUKUSHIMAは何を意味しているのでしょう。なぜ福島ではなくFUKUSHIMAなのか、という問題以前に、なぜ東北でも宮城でも岩手でもなくそこなのか。地震と津波の死者数だけなら福島県は三番目です。しかし福島だろうがFUKUSHIMAだろうがそこは東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故の一番の被災地です。
FUKUSHIMA/福島についての詩なのならば、原発事故の被害が作者に意識されていなければいけませんが、私にはその意識が全く読み取れませんでした。
作者は、FUKUSHIMAにイバルナと言っているわけではないらしい。仮にFUKUSHIMAに言ってるとしても、そのFUKUSHIMAって誰なのか全く不明ですが。
イバルナと、自分を含む生者に言うことにはどんな意味があるのでしょう。死者は弱くないということにどんな意味があるのでしょう。よく分かりませんが、原発震災の一番の被災地である福島における死者についてそう言う詩を詠むのであれば、原発事故関連死のむごさを相対化する意味はあるでしょう。
あるいは、原発事故関連の死者は原発推進という国策のために犠牲(本来の意味で!)になったので英霊となって報われている、というトンデモ思想にも飛躍しかねないでしょう。
考えすぎと笑うでしょうか。しかしそういう可能性を排除できないほどユルユルの詩だと思います。
福島についての偽善的ではない詩を書きたければ、福島の現実を知り、どんな偽善や欺瞞があふれているかをよく知る必要があるでしょう。作者にそのようなことへの関心があるとは私には思えません。
ぎょっとさせるタイトルで目をひきたいだけで、偽善や欺瞞を批判するものには全くなっていないと思います。
明日から始まる4月の営業日時のお知らせが遅れておりすみません。 とりあえず、明日4月1日(火)は16時から22時に営業の予定です。よろしくお願いします。
岡和田晃さんがアトリエサードの岩田恵さんと一緒に来てくれました。ありがとうございます。このたび当店も岡和田さんが編集長を務めるアトリエサード発行の『ナイトランド・クォータリー』を置くことになりました。